カテゴリ:学校教育( 9 )

【よみました】「これからの日本、これからの教育」前川喜平&寺脇研(対談)[筑摩新書]

 最近は【読書メーター】のまとめ記録をアップするばかりでした。
 んでもって、久し振りの普通の投稿も読書記録。
 筑摩書房(筑摩新書1288)「これからの日本、これからの教育」(前川喜平、寺脇研)を読みました。

 元文部科学省(旧文部省)官僚のお2人の対談。
 筑摩書房さんてば、よくぞこんな本を出版してくださいました。言論の自由が守られている感じです。

 教育や教育行政に関わる方の必読書としてあげたいです。

 前川喜平氏の「再就職斡旋問題の引責辞任」や「加計学園の話題」についても触れられています。
 これらのことについては、当事者の一方の言い分ではありますが、そういう前提で読めば、反前川の方も納得して読めると思います。
 そもそも、ものごとには色々な視点がある/多様性を認めるということが本書に通底している主張と捉えていますので、親前川の方も「前川氏の言い分である」という前提で読み込むとよいと思います。
 また、実名を挙げられて批判を受けている方もありますが、それも前川氏・寺脇氏の見方ということを念頭に置いて読むべきで、例え共感する部分が多くあったとしても鵜呑みにするべきではないと考えます。

 前川氏の「言い訳」とも受け止められてしまう部分以外については、教育や教育行政に関わる方の心に一様に響くのではないでしょうか。なお、教育に関わる方というのは、学校の教職員や塾をはじめとする教育産業関係者ばかりでなく、家庭教育・社会教育なども含めての教育に関わる方というつもりで言っております。ようするに、ほとんど全ての方を指しているつもりですので念のため。

p.11「教育は営利事業ではない」
 「教育は、短期間で成果が上がるような営利事業ではないし、そのことを目指すべきでもない」(p.12)にも関わらず、色々なところで短期的な成果を求められているような気がします。p.77には「教育は20年」とも。
 p.52の「農業高校はいらない!?」にも長期的な視点の必要性が訴えられています。
 p.72の総合学科のくだりに書かれた「青の洞門」の話も心に染みます。

p.15「いくつかの出会い」
 素敵な上司との出会いがあったことがわかります。
 私たちの生き方を決めるのは、他者との出会いかも知れません。私自身が、他者に影響を与えている可能性を自覚して生きたいと考えさせられました。

p.31「命がけの文部官僚」
 初代文部大臣の森有礼(p.26)、文部次官経験者で私の母校初代総長の澤柳政太郎(p.29)、本書で初めてお名前を聞いた劔木 亨弘(文部事務次官→官房副長官→参議院議員→文部大臣,p31)、文部官僚ではないけれど坂本添田町教育長(p.40)、学制改革の中心となったと(本書では)されている日高第四郎(p.106)、私の郷土の誉れにして母校の先輩で遠縁に当たる(としている)義務教育費国庫負担制度の(再?)構築をし、文部大臣をも務めた内藤誉三郎(p.242)などなど。先人の取組を知って、どんな思いで教育・教育行政に当たるべきかを考えさせられる。

p.60「業者テストの追放」
 埼玉県が余計なことをしたから、大変上手くいっていた神奈川方式が潰され、神奈川では公立高校第一志望であるほとんど全ての中3生が私立学校を併願しなければならなくなったと、正直なところ今でも思っています。
 しかし、高校全入であるとか、高等学校の無償化、さらには高等学校の義務教育化までを視野に入れると、入学者選抜自体がおかしい者のように感じられます。
 今すぐに実現することではないのは承知していますが、各高校等がそれぞれ特色を持ち、入学を希望する子ども達が皆希望どおりに進学できるような社会を思い浮かべるとワクワクします。
 生涯学習もそういった思想の一部分をなしていると思います。中学を卒業したらすぐに進学しなくてもいいという価値観を共有できたらステキではないでしょうか。高校卒業後にすぐに進学せず、一旦社会に出てから大学に入学する方も、もっともっと増えてきそうです。
 キャリアパスという言い方であったいるかどうかわかりませんが、そういったものの多様性が認められる社会がいいと思います。

p.132「朝鮮学校の無償化について」
 「コリア国際学園」(p.135)、「在日というアイデンティティ」(p.141)、「朝鮮籍」(p.141)など、知らないこと・気付いていないことが沢山ありました。

結局のところ
 私たちはどんな社会に暮らしたいのか、次の世代にどのような社会・環境を手渡したいのか。そんなことを考えて日々の仕事に当たりたいと思った。住みやすい人の世を創りたいな。
 「人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣ににちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。」(夏目漱石「草枕」,青空文庫より)

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by N-_-10 | 2017-12-23 11:28 | 学校教育

つつじ数学サークル 2回目

 3月に2回目を予定していたサークル活動ですが、東日本大震災の影響を受けて無期延期していました。その2回目が本日ようやく開催。仲間の勤務先で行いました。
 ファシリテーターというかリーダーというか進行役というか、そういう立場の人を立てないからなのか、なかなか方向性を見いだすことができません。それでも、まったりゆっくりした時間を共有し、数と式の単元について話し合いました。

 3人が3人ともたすき掛けの因数分解よりも面積図の応用による因数分解を支持。
 もちろん、乗法の指導も面積図を使おうという立場。指導には九九表も使えるし、二桁×二桁のかけ算などもあっさり説明できる。それを整式に拡張すれば文字式の展開。乗法公式も面積図で可視化。文字の数が増えても大丈夫なので、たすき掛けよりも応用が広いから。
 3次元に拡張できるかどうかは見解が分かれた。面積図なのだから2次までだろう。3次は似たような別の考え方だという立場。ノートに書けず、想像するには限界を超えていると主張。対して、面積が体積になるのは自然な拡張という立場。所詮モデルであり、数と式の範囲では3次まで扱わないので進んだ生徒に対して立体模型を示し、4次以上への拡張を生徒に投げかけるのがよいのではないかと主張。
 この件については話し合いを深めることなく別の話題へ。

 因数分解はどこまで指導するべきなのかという話題。
 大学受験を考えるレベルでの指導ならば、複二次式はもちろん対称式や交代式の応用も扱わなくてはならないだろうと。しかし、対称式の学習を因数分解よりも先にしているのだろうかなどと。

 式変形の話題に入り、数と式を離れて平方完成の話。
 前時の学習内容が定着しないような生徒が、試験に向けて一生懸命パズルの解き方を憶えるようにして平方完成ができるようになってくる。そういう経験は生徒の人間的な成長を助けると信じるわけだけれど、数学的にはどれだけの意味があるのだろうか?
 そんなことを言っていると数学教育全般、さらには教科教育全部への疑問になってしまいそうで……。

 研究会としては、
    これこれを実践したんだけれど生徒の反応はこんなだった
          という報告を持ち寄る形にしないと実りが少ないし長続きしないのではないだろうか、などと話しながらも、一応まだ続けようと。
 でも、次回は飲み会。方向性を考えるためのミーティングとするという建前。

 会のこれからについて、アドバイスをくださる方があると嬉しいです。コメントくださいね。
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by n-_-10 | 2011-06-25 21:56 | 学校教育

数学教育協議会第58回全国研究大会(びわこ大会)に参加して

 数学教育協議会(以下、数教協)の全国研究大会には、1989年の高知大会に初参加したときにアットホームで自由に意見を交換できる雰囲気が気に入ってしまい、このあとも時間の許す限り参加しています。しかし、派手な教材・教具やすばらしい授業展開案に目を奪われ、数教協の精神のようなものがなんなのか、よくわからないままでいました。
今回のびわこ大会への参加は一昨年の東京大会以来の参加。今までは初日午後の開会行事から参加するのですが、高速料金割引制度の恩恵を被るべく、前々日の深夜に出発。前日は開催地近隣の観光をして、初日午前中から参加しました。初日午前中に行われる基礎講座に出席することにより、数教協の方たちが大切にしているものが見えてくることを期待しました。

【8月3日・午前】
基礎講座09・中学校・代数(榛葉文枝先生和光中学校日本大学)に出席。出席者は20名くらい。退職されたベテランの先生から新採用の先生、教師を目指す大学生まで様々。
この講座では、小学校の□とは違う中学校の文字が理解できたような気がします。中学校では正負の数や無理数などの新しい演算を学習しますが、文字はこれらを扱うときの強力な武器となります。これをしっかりと意識すると、小学校の□との違いが見えてくるような気がします。
また、量(具象)と数(抽象)の間を自由に行き来できる力を生徒に付けることが大切であるとも意識させられました。また、無理数の導入についても榛葉先生のなさっているやり方を聞き、複素数の導入への応用を考えさせられました。
 べきタイルを作るのに、マーメイドボードなる商品をカット代無料でいくらでもカットしてくれる業者さんがあるとも伺いました。

【8月3日・午後】
 開会行事に出席。メインは京都大学霊長類研究所所長の松沢哲郎先生の講演。朝食バイキングに使用される、700平米を超えるコンベンションホールが満席になりました。2時間半という長時間の講演が予定されていたのですが、それを上回ってのお話し。さらに多くの質問にもお答えいただき、夕食時間が短くなってしまいました。
 本題に入る前に、森毅先生の深いお言葉を紹介なさいました。
  もし単位がほしくてここに来ているのなら、単位はやるから出なくてよい
  この授業は単位のためにあるのではない

 松沢先生の研究は「チンパンジーの行動を見ることによって人間を知る」ことだそうです。京都大学では、犬山の実験室とギニアボッソウの生息地での観察・実験を30年以上続けているとのこと。犬山には3世代1群14人のチンパンジーがいるのだけれど、寄せ集めの14人ではなく本当の群れ。この群れを作るのに、41年かかったとのこと。何をするにも時間がかかるのだと慰められた気分。
 チンパンジーと人間の比較を教育の側面から見たお話しもありました。
 チンパンジーは教えない。でも、すぐそばで「邪魔じゃないの?」というくらいのところで見られても邪険にせず許す。真似をするように強制されなくても、勝手に真似をするようになる。大人から食物を横取りするように持っていっても叱られないが、いつか食物を持っていくことはなくなり、自分で得ようとするようになる。人間は教える。真似をしている子に手を添える。認められたいという欲求がある。
 犬山での実験も、名前を呼べば実験室に来る。彼らの方が力が強いので、強制的に連れてくるのは無理。実験も本人が画面をタッチしなければゲームが始まらない。チンパンジーへの強い動機付けの秘密はなんだろうか?
 チンパンジーは、5歳くらいになると親離れする。母親が子どもを産むのはその後。チンパンジーの母親は独りで子育てをする。チンパンジーにはお婆さんという役割の女性はいない。共育が人間の子育て・親子関係・教育の基礎。
 ボッソウの群れも小さいので血が濃くなってしまったとのこと。近くのニンバの群れと行き来できるように、緑の回廊(GreenPassage)を作っているのだが、なかなか進まない。しかし、『歩いていて着かない目的地はない』と信じて続けているそうです。
数学の側面から紹介されたチンパンジーのエピソード。
 13という表示を見て、最初のうちは1と3に見える。推移律は理解できるが、反射律と排他律は理解できない。

【8月3日・夜】
 夕食会場での交流会。
 昔ながらの宴会場での食事中に、各地区ごとに活動の宣伝。数教協会員以外の参加者への宣伝も兼ねている様子。
 食事中も、見ず知らずの方たちと席が近いというだけで勝手に交流。同じ思いをもって参加している仲間との意識からか。他の学会など、研究実績を競い合っている人たちも同じように交流なさっているのかどうか……?
 教具展も開催。じゃばらを使って極方程式のグラフを見せる教具をはじめ、目を引く教具が沢山。毎年のように出てくる教具もあり。授業にどう活かせるかを教具展の最中に考えるのは時間が短すぎました。

【8月4日・午前】
 分科会Ⅰ16・高校・数と式,方程式・不等式に出席。13人前後で会の途中の出入りあり。津田塾大学の学生さん2人も出席。毎年何人かの津田の学生さんを見かけます。津田の方は熱心ですね。他の大学の方も参加なさればよいと思います。
 まずは背理法と対偶法の違いの話。今まですっきりしていなかったのですが、この日の議論でなんとなくすっきりした感じ。この感じをずっと持っていられればよいのですが……。対偶法で証明しやすい問題を背理法で証明させることが混乱を呼んでいるようとのことでした。
 続いて面積図(直積図)を用いた因数分解の話。なんとなく使っていた面積図ですが、因数分解の手順をしっかり教えてもらいました。たすきがけの因数分解は、暗算力のない生徒には難しいと実感。

【8月4日・午後】
 分科会Ⅱ39・高校・微分・積分に出席。20人弱の出席。GRAPESの実演あり。
 導関数の定義式を教えないというレベルのお話しから、進学校での実践報告まで様々。セッセンサーと傾き測定器の精神の違いやら、2点を近づけるのではなく局所的に見るという立場の紹介など。
 3日午前の榛葉先生と共通して『どう捉えてどう再構築するか』そして『どう子どもと関わるか』を考えての実践だと感じました。

【8月5日・夜】
 自由交流、地区別交流。
 前半の自由交流は、千葉県の加藤先生が発起人の「かとせんのおもちゃ箱」に出席。二進法を応用した数当てゲーム、……のほかは、ブーメラン作成だったりポップコーン作りだったり。ベンハムのコマは初めて作成に成功!果たして算数・数学なのか?と思う部分もありますが、年度初めのアイスブレイクに利用できるのではないかと思いました。
 地区別交流は関東地区に参加。神奈川には数教協のサークルがないので参加者も少ないかと思っていましたが意外と多くびっくり。2時間かけて全員が自己紹介しました。

【8月6日・午前】
 数学サロン・脳が喜ぶ,数楽教育に出席。講師は神奈川大学何森仁先生。
 不均質なサイコロ(サイドタ)を使った確率・統計の実験をご紹介。13万回振った話や、「サイコロ自動振り器」の話など。紙テープを「10cmだと思うところで切れ」と指示して切らせたテープが4万本。一人ひとりはバラバラだけれど、平均が10.38cmで標準偏差が2.04になったなど、統計の威力を見せ付けられました。
 余った時間でiPadの紹介。様々なアプリケーションを教えていただきました。プレゼンもMacBookAirでした。もしかしたら何森先生はApple社の回し者?

【その他】
 ポスター展・販売など。発表のためのポスターから、実践したプリントを模造紙に貼り付けたものまで、様々なポスター発表がありました。大学の数学科教育法で学生が作ったものもあったようです。古本・新刊や教具の販売もありました。
 来年の大会は8月6日(土)から8日(月)の日程で福井大学をメイン会場として開催されるそうです。

 取り急ぎ、写真もなしでアップ。落ち着いたら、もしかしたら写真を追加するかも知れません。
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by n-_-10 | 2010-08-09 21:04 | 学校教育

選択理論のこと

 2010年4月に開校した神奈川県立相模向陽館高等学校は、「学力に不安を感じている、やる気があるのになかなか勉強についていけない、小・中学校時代に不登校を経験した、外国籍等で日本語の理解が充分でない、働きながら学びたい、といった皆さん」を受検者像として設定しています。指導が困難であることが想像されます。開校準備にあたっていた先生方はどのように指導したらよいか日夜悩んでいらっしゃったに違いありません。その中で、校長先生は『「新校に入ってくる生徒を迎える教職員にとって、学ぶ必要のある方法論は選択理論だ」と直感した』そうです。(片言自在 No.17より)
 開校一月を経た今、この学校では「学力に不安を感じている、やる気があるのになかなか勉強についていけない、小・中学校時代に不登校を経験した、外国籍等で日本語の理解が充分でない」子ども達が(全員ではないまでも)元気に登校し明るい笑顔を見せているそうです。
 さて、この学校の現段階での成功の原因はなんでしょうか。入学してきた生徒にとって、環境が変わったために気持ちも変わったでしょうから、それも一因でしょう。しかし、この学校戦略として位置づけられている選択理論にも秘密が隠されているに違いありません。ググったりtwitterで検索してみました。


 以下にリストアップして、後で勉強するときの参考にするつもり。
【google検索結果から】
NPO日本リアリティセラピー協会/日本選択理論心理学会
新田義治さんの「心軽やかに生きる!」
コーチング知工房
選択理論.jp
幸せと成長の心理学−生き方の心理学講座−
チョイス・コーチング
体育が苦手なのに体育教師
【twitter検索結果から】
カウンセラーからのおすそわけ
選択理論マニアのためのトリセツ
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by n-_-10 | 2010-05-12 21:28 | 学校教育

教員免許更新講習について

 朝日新聞に投稿したけれど、もう1週間近く経つのに載らないので没になったと信じて、ちょっと書き直してこっちに掲載。

 9月4日の朝日新聞声欄に「教員免許講習の内容お粗末」との投稿が載りました。確かにお粗末な講習もあるのでしょうが、それをただ「いい加減な内容」と切って捨ててしまってよいのかどうかは疑問です。
 中にははよい機会と捉え、普段は聞くことの困難な先生の講義を選ぶ方もあるでしょう。このため、最低限必要な18時間を超える講習を受講する場合もあるでしょう。余計な費用負担は大変でしょうが、自分で選んだ講義は面白いに違いありません。中には「こういう授業をしないように気をつけよう」と思う場面もあるでしょうが、それさえも糧にするべきと考えます。
 受講者や開講する大学側の負担軽減や「いい加減な内容」の改善など、制度そのものはまだまだ見直しの余地があると思いますが、受講者もイヤイヤ受講するのではなく、積極的に制度を利用する態度が必要かと思います。
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by n-_-10 | 2009-09-12 19:35 | 学校教育

理科離れを食い止められるか?

 神奈川県立小田原高等学校の視聴覚室に行ってきました。目的は白梅科学コンテスト2008の研究作品発表会・最終審査の見学。
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 書類審査を通った10組(中学生4・高校生6)が各15分の持ち時間で発表。最近の中高生ってすごいですね。研究内容もそうですが、プレゼンテーション能力の高いことにびっくり。パソコンソフトを使いこなしていたこともそうですが、広い会場で大勢の聴衆を前にしっかり発表していました。
 上の画像は、優秀賞を受賞した小田原高校物理部1年生3人の発表「竹ひごの共振」です。高校1年生ですから、数学で三角関数を勉強していないし、物理で波動を勉強していないはず。指導なさって先生も生徒さんも立派。
 最優秀賞は神奈川県立西湘高等学校の2年生が小学生のときから10年以上研究を続けているというカタツムリの研究。今回は、カタツムリで天気予報ができるかどうかというテーマでした。西湘高校からは3組が最終審査に残りました。流石SSHです。

 主催者が小田原市で活動している小田原白梅ライオンズクラブですから、応募者も県西部が中心だったようですが、神奈川県立神奈川総合高等学校神奈川県立鎌倉高等学校在籍者の研究作品も最終審査にノミネートされていました。
 このコンテストは小田原白梅ライオンズクラブの創立30周年事業の一環とのこと。今回限りではなく、『30周年事業で始まった』コンテストとして、神奈川県西部から発信する科学コンテストとして、権威あるものに育っていって欲しいと思います。一回キリじゃぁねぇ。

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 副賞が多少レベルダウンしてもいいですから、科学する心を応援し続けて欲しいものです。
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 今回は副賞も立派でしたが、埼玉県・京都府から高校生を呼んで発表してもらいました。どこかで賞を取った研究だったのかも知れません。審査員には大学の先生方やライオンズクラブ関係の方々でした。他府県の高校生や大学の先生を呼ぶにもお金がかかったでしょうねぇ。

 こんな会もあるんですねぇ。
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by n-_-10 | 2009-02-07 23:30 | 学校教育

難しい……

 難しくてよくわかりません。
 こんなことを思っていたので、尊敬する有識者と言われる人に聞いてみました。
 各学校に特色を作れと言っている同じ口で、教員の異動サイクルを早めている。特色の根幹は人材ではないのか?県立高校の場合、同じ学校にいられるのは最長で10年になるそうだ。同じ学校で3回卒業生を出すのは至難の業。そんな状況でどんな特色が?
 県の諮問機関が、名簿提出はまかり成らんと答申しているのにも関わらず、その県の教育委員会は名簿を集めるそうだ。決められたことをしっかり守ることを教えるのも学校の役割だと思うのだが、学校を指導監督する立場の機関が答申を無視するというのはいかがなものか?
 来年度中に発表される学習指導要領でも日本史が必修にならない見通しだというので、県独自で日本史を必修としようという動き。再来年度にはいくつかの県立高校で試行されるという。教育課程の編成権は各学校(=校長)にあるのでは?

 そしたら……
 異動サイクルと特色については
「学校の特色は未来永劫変わらないものなのか?」
「20年いれば特色が出るのか?」
「校風と特色は違うものであろう」

などと言われ、他の2点については、
「答申には拘束力がないだろうし、参考にして結論を出しているはずだ」
「教育委員会できちんと審議されているはずだ」
「地域の特色を出すこと、国の手が届かないことをやることはよいことではないか」
「教育委員会の主体性が評価されてしかるべきだ」
「必要なら会議録の開示を求めてみてはどうか」

などと言われました。
 実はもっと沢山語ってくださったのですが、要約しきれません。ただ、教育委員を任命するのは知事だし、知事や教育長の意向が教育委員会の会議の結論にバイアスがかかることは当然であろうというコメントもありました。

 会議録の開示を求めるのは止めておきます。教職員組合が情報を入手しているはずですから、折を見て問い合わせたいと思います。

【神奈川県教委日本史必修記者発表】
http://www.pref.kanagawa.jp/press/0802/047/index.html

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by n-_-10 | 2008-02-21 20:20 | 学校教育

校長先生は裸の王様か?

 今朝の新聞記事(2007年10月6日付朝日新聞13版神奈川)
「返事できぬ子『うん子』かと怒鳴りたい」
横浜の小学校長学校だよりに掲載
中田市長「言葉わきまえて」
横浜市立西寺尾小学校(神奈川区西寺尾2丁目)の校長が、10月号の学校だよりで、返事がしっかりできない児童に対して「おまえは『うん子』か!と怒鳴りたくなる」などと書いていたことが5日、わかった。……(以下略)


 同校の児童はよっぽど返事ができないのだろうなぁ。直接児童と接する機会が少ない校長がここまで苛立つのだから。


 校長が不幸なのは、この「不味い表現」を部下が諫めなかったこと。
 校長と部下の間が上手くいっていなかったのだろうと想像してしまいます。

 普通に考えれば、4月着任の校長だったとしても、既に半年経過しようとしていた時期に、いきなり児童・保護者に対してこんなことは言わないだろう。先に一般職員に対して「子ども達の挨拶・返事の状況が気になる」など、直接の指導を呼びかけるのではないだろうか?気になり始めたのが9月になってからだとしても、先にそういった段階があって当然でしょう。
 先生方が児童を指導するに当たって、校長の方針は「しっかりした挨拶のできる子どもになって欲しい」のだと説明するのはアリだと思うけど、いきなりこんな学校だよりが出るなんて信じられません。

 さらにいうと、全校配布のこの文書を、各担任は疑問を持たずに配布したということでしょうか?いくら校長の作った文書でも目を通してから配った方がよいのでは?ものすごく忙しい日程で目を通す間もなく配ったとしても、保護者から抗議が殺到する前に何とかできたのでは?

 校長が嫌われていたか、教員のやる気がないか、その両方か。
 学校内で、この校長は裸の王様?


 Nと〜の娘の通う小学校の校長ももしかしたら……。
 9月10日付で配布された学校だよりに「雷がピカッと光ってから10秒後にゴロゴロという音が聞こえた場合は3×10で、およそ30キロメートル離れたところで雷が発生したしたと考えてよいわけです」の記述がありました。
 単純な算数の間違い。校長先生にも間違いがあるのは仕方がないし、もしかしたらみんなが読んでいるかどうかをテストするつもりなのかも知れないと思っていましたが、その後の学校だよりでも訂正されることはありません。
 書いた校長先生も「30キロメートル先の雷鳴が聞こえることの不自然」を感じなかったようですし、配布した職員の誰もが校長に何も言っていない。おかしいと思いませんか?
 校長先生のすることはノーチェック?
 もしかして、校長先生に何か言うことって、一般職員の給料やボーナスに響いてくるの?不味いんじゃないっすか?

 知人のお嬢さんの通う小学校でも、校長先生の出す学校だよりに気になることが書かれていたということ。
 その校長先生は朝の通学時間に街に出て通学風景を見ることがよくあるそうです。立派なことだと思います。校長先生は子ども達の挨拶の状況が気になったそうです。(どこも同じですね)
 この校長先生は子ども達の挨拶の仕方をAからEの5段階に評価したそうです。横断歩道などで見守ってくれている大人の方に対しても積極的に大きな声で挨拶のできる子はAだそうです。声が小さいとCだとか。
 声の大きい小さいは個性かも知れません。また、『評価』という言葉を使うことによって、子ども達が他人からの評価を気にするようにならないかとNと〜は不安に思います。「みんな元気よく挨拶しましょうね」と簡単に書けなかったのでしょうか?
 どうせ通学風景を見に行くのなら、児童の顔をみんな憶えて、「あ、この子は昨日掃除を一生懸命やったいたな」「あれ。いつも元気なのに今日は下を向いているぞ。担任に伝えておこう」などと一人ひとりに目を配ってもらいたいと思うのは要求が高すぎるでしょうか?
 そして、この校長先生に対しても、部下の一般教員は何も言わなかったのでしょうね。



 校長先生に対して、部下の先生方が何でも自由に言える雰囲気があった方がよいと思います。部下が誤っているのならその時に校長先生が指導できます。校長先生が誤っている場合だって当然あります。
 校長先生に対して誰もが気楽に話しかけることのできる雰囲気を作るっていうことは、今となっては難しいことでしょうか?
 Nと〜が高校生の頃、廊下で校長先生とつばを飛ばし合って話をしている先生をよく見かけたような気がします。喧嘩をしたわけではなく、(そうだったとしても根に持たず)別の場所ではにこやかにお話しされていたように記憶しています。
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by n-_-10 | 2007-10-06 09:43 | 学校教育

クラス全員と仲良くしたい

 生徒さん達はしばしば「クラスの全員と仲良くしたい」と言います。
 そりゃぁそうですね。嫌われたいとか、3人くらいとは仲が悪い方が良いなんて始めから思っているはずがありません。全員と仲良く平和に暮らしたいのは自然な欲求と思います。
 でも、彼らだってわかっているのです。クラスの全員と仲良くなることが難しいということを。だからこそ、そうしたいって思うのではないでしょうか?

 社会に出た私たちだって同じように思うわけです。……でも、本当に仲良くするのは事実上不可能なので、せめて不愉快にならない程度に折り合いを付けて……。国と国の関係も似たようなものでしょうか?

 学習指導をしていても、学級活動や部活動の指導をしていても、指導上の目標に到達しないことがあります。これは「クラスの全員と仲良くしたい」と同じくらい目標設定が高いということなのでしょうか?

  目標を下げる?−−増減表がかければグラフがかけなくてもいいやーー
  到達率が低くても納得する?−−10人の内8人が到達すればいいやーー

 上手く折り合いを付けていかなければならない場面はこんなところにもあるわけでした。
 Nと〜は100%の生徒に、Nと〜自身が納得する到達目標に達して欲しいと思うのですが……。無理な願いなのでしょうねぇ (;_;)
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by n-_-10 | 2007-03-15 21:35 | 学校教育